どうも、ブログの管理者です。ちょっと注意すべき点に関して述べたいと思います。原文に誤字、脱字、衍字などと思われるところがありますので、明らかな誤りを(日本語母語話者と相談して)修正してここに投稿しておきました。他にもあるかもしれませんので、ご理解の上でお読み頂ければ。まあ、どうしても確認したい方が居ると思って、ご自由にどうぞこちらへ:p48、p49、p50、p51。残念なことにコロナ禍はまだ続き、取り敢えず画質の悪い写真しかありません。他に誤りがあるところ、もしくは私が修正ミスしてしまったところがあったらコメントを頂けると嬉しいです。
では。
この作品は
よく分からなかった
だから成功なんだ
バンダイ社長
山科 誠氏

劇場映画は壮大な実験だった
⸻ 一番最初にこの映画ができるまでの過程を簡単に教えて下さい。
山科 うちの方は前からおもちゃのマーチャンダイジングということで十四、五年やってきたんですけど、最近我々としては子供達の気持ちをより知らなくてはならないと、やはりその情報源としては、例えばコミックだとかあるいはアニメ、テレビだとか映画とか。我々としては「ヤマト」とか「ガンダム」とかあったんですけど、ある時期まではアニメーターだとか、プロダクションの人とかが進んでいたんですよね。ところが最近は子供達が追い越しちゃって、作り手がちょっと遅れてきたという部分がありまして、私供もこれじゃいけないということで、新しい事を模索しなければいかん。それでトータルマーチャン、つまりおもちゃだけじゃなくて、出版だとかメディアを全部使ってやらなければこれからは難しいということもあって、劇場映画をやりたい。ただし劇場映画をやる時は人のものじゃなくて、100%自分達でやってみようという壮大な実験なんですよ。我々が全部コントロールできることでやろうと。他人のものを借りてきて映画にするのではなくて、オリジナルのものをやろうと。
⸻ それはアニメーションという事で。
山科 アニメーションにはこだわらなかったです。ただターゲットは当然子供とは青少年、ティーンエイジャーですね。ただひとつだけ条件があったのは、やる以上は既製のプロダクションと同じことをやってもしょうが無い訳ですから、我々にしかできないことをと。何だっていったら、若い人にそのままやらせることじゃないかと思っていたんですよ。だから、ぼくはおもちゃやってていつも思うんですけど、ぼくなんかが分かるのは売れないんですよ。それがあたり前なんですよ。なぜかというと世代がこんなに違うんですよ。このギャップって凄いですよ。ですからこの「オネアミス⸻」は、若い人向けに作ってますが、ひょっとして大当たりするかもしれません。あたったら今まで言ってることは全部ひっくり返るんですよ。なぜかというと、我々が分るような映画を作ってもらいたくない訳ですよ。つまり言えることは、ぼくが分るようだったら所詮あたったところで大したことないなっていうことなんですよ。最初から「スターウォーズ」を狙っている訳じゃないんですけど、やっぱりヒットさせたい。でも、ヒットさせるためには、本当に純粋に若者達だけの考え方で、コンセプトで、ヘタに妥協させちゃいけないんです。それで突っ走らせないといけない。大きな意味でのプロデューサー的な部分でいうと彼らだけではできませんからね、その辺で我々がうまくここまでもってきたというわけです。そういう面では成功だったんじゃないかと思いますけどね。
⸻ かえって全部理解できないから、この映画は成功だったと。
山科 ぼくはそう思います。
興業作品として
⸻ 興業的には失敗する可能性は当然ありますよね。
山科 ぼくは、どんなにヘンな映画が出来ても、それはぼくの責任として、これをペイさせるのはこっちの仕事なんですよ。ですから映画の興業収入だけでできるだけペイさせようとは思ってますけれど、トータルでバランスをとるつもりでいますから、なんとかバランスはとれると思いますけど。
⸻ トータルとはどの辺で。
山科 ビデオもありますし、出版やレコードもありますし。今(バンダイに)ネットワークという会社がありまして、ビデオではかなり大手なんですよ。ですから、ビデオ作品としては非常にいいアニメーションを作ってくれたとぼくは思っているんですけど、そういう面でいうとかなりビデオはうけると思います。
⸻ この作品のできに関して、社長が困ったなという部分が少しあると思ってたんですけど、そうじゃないみたいですね。
この映画をみてて出来その他に関しては色々と問題はあると思うんですが、少なくとも20代の作家がこれだけでかいプロジェクトの中で作品が作れるということは、今の日本の中では映画界でもないし、かなり画期的な事だと思うんですよ。そして尚かつ制作者の方が、その出来に関しては全部責任を持つというのは、理想的な状況で作ったというような気がするんですよ。
山科 ただ、シナリオ段階と最後の0号を見て、全く同じ感じを持ったんで、切れって言ったんですよ。それで3週間位、切る切らないでやったんですよ。東宝東和さんと同じことなんですけど、切る切らないの過程で、ここを切ってなぜ切っちゃだめなんだっていう話から始まったんです。それから、あーなるほどと思ったんですよ。切れないなって、感じたんですよ。ですから最終的には119分でもしょうがないけどということで、東宝東和に申し訳ないけどやらしてくれと。興業的にいえば100分位に切ってもできるけど、ここで切っちゃうとこの映画を作ったということが全部飛んじゃうんで、つまり何億ってかけた意味が全くなくなっちゃうんでね、申し訳ないけどあたるあたらないの責任はこっちがもつから全部このままやらせてくれ、ということで。
⸻ ある意味で現場の意見を全面的に聞いた?
山科 というよりも、彼らがそういうコンセプトで作っていますからね、ぼくはそのコンセプトが前に分っていれば、もうちょっと違ったやり方でさせたと思うんですけど、それが分んなかったから……。
⸻ 0号試写を見てようやく分ったと。
山科 ええ、だから無理ですね。彼らが言おうとしてたことは、ビジュアルな世界ですから、シナリオでも書いてないところ、要するに口では言えないところがある訳です。それを彼らはあえて作ってみなきゃ分らないんだ、というところまでやっちゃったんですね。そうすると直しようがない訳ですよ。その世界ができてるんですよ、「オネアミス」の世界ができていてそれを変える訳にはいかないんですよ。
⸻ 「ラピュタ」とか「ナウシカ」とかとは全然違う、そういうものを彼らは意識せずに、自分達だけのものを作りたいということで、そういう意味では新しい流れだと思うんです。それで興業的にもトータルでみればいきそうだと⸻。
山科 ぼくはやっぱり最高責任者だからね。それはすごい心配だったからね、やばいなーって、大丈夫かなって思って、すごい真剣だったですよ。それで、全く僕には分らない。ぼくに分っているのは、おもちゃといっしょですから、見るのは僕らじゃないんですよ。10代の子供たち、まあヤングですね、彼らが見て面白くなかったらダメなんですよ。で、それを、ま、徹底的に試写会だとかリサーチだとかね、あるいは実際の反応とか見て、ま大丈夫かなって、ま、分かりませんよ。
僕の心配は映画館に閑古鳥が入って誰も映画見に行かないと、これが恐いんです。ですからあと、お客さんが満員になるとかね、興業的にどうする、それは僕、別の次元の問題だと思うんですよ。そういう面でいうとこれは主観の世界ですからね。いろんな映画があっていい訳ですから。皆んなが見にいく映画もあるしアニメ的な映画もあるし。ですから僕、我々でのクオリティーとしてありますけどね、それでどれだけ何十万人何万人集められるかっていうことであって、それはそのまま作品の器量ですから。
ただ問題はね、どうしようもない映画ってあるでしょ、ダメなやつ。おもちゃでいうと全然売れないやつがあるんですよ。一個も売れないやつが(笑)。これが困るわけですよ。これを僕はね、エグゼクティブプロデューサーとして名前をつけた以上ね、何でこんな映画作ったんだってなっちゃうから⸻これ、もう理屈ぬきなんですよね。ただ、若干主観の問題ではね、いい所悪い所あると思いますけど、まあ、ちゃんとできるからそれはそれでいいんではないかと。
感性で作品をつくる
⸻ 今後も同じような形態で物を作っていきたいという?
山科 ええ、僕は基本的に会社のおもちゃの方作ってても全くそうですけど、一際商品に口を出しませんから、なぜかっていうとね、これは感性の世界なんですよ。ですから芸術と非常によく似てる部分あるんですけどね。例えばね、自動車だとか洗濯機だとかね、そういう実用性の強い商品は、ある程度感性というより理論でいかなきゃいけない部分すごくあるんですね。ところがね、感性の部分は、別に映画を見なくたって死にゃあしないし、おもちゃを子供に与えなくたって子供は死なないんです。
全然ちがうんですよ、食品などとね。ですからそういう部分でいうと感性で楽しいか楽しくないかの世界ですからね。そこへこう変なものがピッと入りますとね、全部ぶっ壊れるんですよ。ですから今回の「オネアミス」をなぜ切らなかったかというとね、あれはあれなりに、ああ見にくる人間もいるなって僕は思ったんですよ、何人かは。マイナーかも知れない。でも、それを切っちゃうとマイナーな人間も行かなくなっちゃうなって気がしたんですよ。だからそれ恐かったんで、切らなかったです。で、あれ切ってね大衆がボッと、メジャーになるかというと、そのコンセプトがそういう作り方してないからならないんですよね、あの映画。ですから敢えてやらなかったです。
⸻ 製作費が8億円ということなんですが、実質的に現場サイドには?
山科 ま、宣伝費がやっぱり3億ぐらい、ですから実質的には4億ちょっと、5億ぐらいですか。
⸻ 今まで日本の劇場用アニメ作品の中で、初期の東映動画除いて一番密度の濃いあるいは情報量の多い映画という気がします。
山科 クオリティは、やっぱり僕もしろうとなりにわかるけどやっぱり凄いんじゃないですか。
⸻ バンダイの方はかなりもうかってて、税金対策として「オネアミス」を作ったという噂が?
山科 そんなことないですよ。ちゃんとビジネスですよ。
⸻ 具体的に作品の内容の話を。その一観客として、0号試写後(純粋に分けられないかと思うんですが)、どういう作品の感想を持たれましたでしょうか?
山科 うん、最初の0号? やっぱりただね、僕の場合はちょっと純粋な観客で見れないんですよね、ストーリーわかってるしシナリオわかってるでしょ。だから大体そうなのかなって、それで自分がこう思ってた部分がどうなってるかなって、それがポイントになっちゃうから純粋に観客で見られないんですよ。僕が、監督だったら違う演出したなっていう部分ありますね。だからその部分はちょっと面白くないってのはありましたけどね。
新人類とは世代が違う
⸻ 山科さんが監督をなさってたら、どのようにお話が変わってましたか?
山科 あのね、基本的に同じなんだけど、僕が思ってたと違う大きなちがいはね、フラットなんですよ、彼らの表現がね。僕なんか、もうちょっとエモーショナルで大きくするんですよ全て。例えば最後のロケット発射でもね。あの場合は、役らの山賀君等の、一つのやり方だと思いますけど、フラットなんですよね。コンスタントで。感情的に言うとね、あの、ですからシーンだとかストーリーのコンセプト、ストーリー立てとかね、僕はあれはあれでいいと思ってるんですよ。ただ、もしあそこで違いをつけるとすると、感情表現がね、僕なんかもっと変えるから、映画でお客さん見たときは、おんなじ絵を見ててもちがってくると思うんですね。僕は山賀くんの心情を僕なりにね、翻訳してるんですけど、僕、何十回見てるんですけどあんまりあきないんですよ。十何回見れる映画なんですよ。ということはね、何回でも見れる映画ですよ。色んな映画があると思うんですよ。で、僕が思うのは、昔僕が若い時映画好きで帰りに友だちとか、女のコと一緒にあそこのシーンはよかったね、こうだったねって話が湧いたでしょ? 最近の映画はね、エンターテイメントに徹しちゃってるんでね、それがないんですよ。その瞬間は楽しいんですよ、バーッと。ところがね、「トップガン」じゃないけどね飛行機はよかったってね、要するにその部分だけで…、中味のね主人公の生き方だとか人生の生き方だとか、あるいは落ち込んでしまうとかね、要するに自分に対して自分はこれでいいのか、とかね。そういう部分っての最高の映画、なくなってきちゃったんですよ。で、敢えてね、彼はそこの部分やったと思うんですよ。
⸻ 一種環境映像、環境ビデオ的な要素があるなっていうふうに解釈できますね。
山科 ということはね、わかんないですよ。だから、あれはみてどうだったって友だち同士で話し合ってね、で、じゃもう一回見てみようとか、要するにあと2、3日たつとああそうか、あのことはああいうことなんだなっ、とかね。そういう映画だと思いますよ。
⸻ 僕は一度目は、この高揚のなさはなんだとゲンナリとして試写室を出た。
山科 いや申しわけないけど僕らなんかと同じ年代じゃないかと思うんですけど(笑)。旧人類はそこのとこはもうちょっと感情が強くないとね、刺激がないとダメなんですよ。ところがたぶん新人類はね、そのからみが少なくてすむんじゃないかと思ってるんですよ、僕は。
⸻ 彼らの話だと若いほど支持率が高いという⸻。
山科 そうなんですよ。だから彼らは彼らで若いんですよ、十分。あの、ですからあの映画大変な映画なんですよ。なんでかって言うとね、新人類のために初めて新人類が作った映画なんですよ。あれでもちょっとズラせるんですよ。だから、我々がわかるはずもないし、面白くもないのあたりまえなんですよ。
このあいだね、面白い話があった。これ、あとで映画当った後、(笑)まあ、当たるかどうかわからないですよ、あたったらこの話は生きてくると思うけど、僕の友だちと一緒に最初の試写会行った後、彼と、食事したんです。「どうだった?」って、彼何も言わないわけね。それでね、しばらくたってからね、ポツポツって言い始めたわけ。「いやー、山科くんね、オレ悪いけどね全然わかんなかったんだ」で、となりに若い女のコがいて見ながらキャッキャッ笑ってね喜んでるだって。それでね、自分はちっとも面白くないんでとなりが何でこんなに騒いでんのかショック受けたってわけ。
で、彼は、「山科くん、この作品は映画界の革命になっちゃうかもしんないよ。もしこの映画が当ったらば、誰も今の映画を作ってる人は映画作んなくなるよ」って言うんですよ。ということはターゲットとね、映画がね、製作者側のコンセプトと映画を見てあたったら絶対ヒットするんですよ。そうでしょ。今ね、なぜ映画があたらないかっていうと僕は前から思ってるんですけど、吉永小百合の映画がなぜ当んないかと。若い人、吉永小百合知らないんですよ。作ってる送り手のイメージとこっち受け手があってないんですよ。で、だけどもしあの山賀くんが提案してるものがこの線だとすると、ね、これから作る人はこの続でないと映画があたんないってことになるんですよ。全部ふっとんじゃう。ですからね、若い人にどれだけ支持されるかなと、それが我々にどれだけ支持されるとかされないとか関係ないですよね、どうせ我々見る映画じゃないんだから。あれ見に行くことはないんです。で要するに、十代とか二十代の人がね、あれを見にいくか見にいかないかなんですよ。で、見に行った人間は面白いよと言い口コミであの映画が拡がれば、山賀くんは成功だと思いますよ。ただあれが成功すると困るのは、今後映画がものすごく難かしくなるんですよ。なぜかと言うと新人類のヤツじゃないと作れなくなっちゃうんですよ。要するにアメリカのスピルバーグとかジョージ=ルーカスはね、まだ我々の世代なんですよ、どっちかって言うと。それにアメリカはそんな大きなギャップないんですよ。若い人と。ところが日本の場合は25位からね、こんなギャップありますよ。世代の断層が。
⸻ それにルーカス、スピルバーグと言ってもあれは基本的に新しい技法ではないですから。
山科 それもちょっとエンターテイメントに徹してね、わかりやすくしただけですけどね。だからもし山賀くんなんかのああいうソフィスティケイトされた非常にレベルの高いあの部分でもし今の若い人がああいうふうに考えてるんだとすると大変だと思いますよ。だって僕なんか真剣に十何回見てね、あ、そうか、こいつはこんなこと考えてんなってわかるぐらいのを最初からプログラムされて作ってるとしたらね大変なことですよこれ。ただそれはね若い人がスッとわかるかわかんないかの問題もありますよ。もし今の若い人、わかる人多いんだったらね、やっぱり今の若い人レベル高いと思いますよ。
⸻ あの構造的に、とりあえず何万人入ると成功と考えていますか?
山科 やっぱり一応100万人予定してますけどね。まあうちはだいたい50万枚位前売りで売ってんですけど。後は、行った人が一人口コミで、もう一人つれてきてくれれば100万はいくと思うんですけど、まァ、7、80万人を越せば、24才の監督が作った作品としては成功だと思いますよ。
⸻ そうですね、確か「ナウシカ」は100万人という話ですから。
山科 そうでしょ。だからレベルが全然ちがいますからね、その作ってる作品の中味がね、「ナウシカ」だとか「ヤマト」とかじゃないでしょ。誰も今までやったことがないんですからね、だからそういう面ですごいリスクあります。ただ、全然閑古鳥鳴いてね、5万人、10万人しか行かないとかね、いうんじゃこれ困るんでね。それだけじゃ僕は(笑)。
⸻ 腹を立てるのもいるし、好きだというのもいるし、文句はあるけど基本的には支持するとか反応がいろいろあるんですよね。
山科 いや、違って当然だと思いますよ、極端に言うと面白くないとか、分らないというニュアンスじゃないと思いますね。ただ、ちょっと古いかもしれませんね、山賀君が19の時から考えたものを24でかかってますからね。そういう意味でいいますと今の十代にあてるためには、もうちょっと若く作んなきゃいけないかもしれません。それだけもう時代が速いから。もうちょっと古い部分あるかもしれませんね。技術的なものを別にしてね。
この映画はそういう面でいうと、もうすごく話しにくいんだけど、あたってもあたんなくても困るんだけど、本当に分んない映画ですね、ふたを開けてみないと分んないですね。
これ以上のものは作れない
⸻ 基本的に彼らの考えている方法論って正しいと思いますね。ただひとつ気になるのは、宮崎さんと対談(キネマ旬報)をやってたんですけど、ほとんど話がかみ合ってないんです。
山科 申し訳ないんですけど、ぼくらの責任だと思うんですけど、結局、岡田君をはじめまだ若いんですよ。だから、すごくいいところは持ってるんですけど、やはりある面でいうと世間知らずのところがあるから。だから、これが彼らの最後の作品になる可能性もありますね。要するに彼らが自分たちだけの世界でこれたのは、このあとあたんなかったらボロクソ言われるだろうし、あたったらこの次またあてなきゃいけないというプレッシャーが出てくるだろうから、いずれにしろ今までのような純粋な形で映画は作れないでしょうね。だから、これで最後じゃないですか、そういう意味で彼らが作れるのは。この次は商売で、もっと、東宝東和の宣伝部とケンカもしないだろうしね、もっとうまく彼らは次はやると思いますよ。でも、うまくやるということは、彼らのいう純粋さがどこまでつらぬけるかっていうときに、どこかで妥協しなければいけないんですよね。だから、妥協しないで作った結構な映画じゃないですか。アニメ業界の中で、お金の問題を含めてあのレベルでもうできないでしょうね。変な話ですけどもう分ってるんですよ、次に我々がタイアップさせてもらってアニメーションを作るとします。もうできないですよ、あの映画は、あのレベルで。お金の問題だけじゃなくて、彼らのあれだけの情熱をかけた、あれだけの一枚一枚きちんとしたものはできないです。ストーリーの面白い面白くないは別です。クオリティという面でもうできないです。多分。
だから、えらいもの作ったとぼくは思いますよ。プロ的に言うと、イヤなものを作られちゃったなと思いますよ、アニメ業界からいうと。あのレベルで作られちゃうと、大変だよな。最近よく分ったんですけど、彼らが一枚一枚作ったのは大変なことですよ。あれが出てくると、あれがあたり前になるんですよね。あれと同じかあれを越さないと今度はクオリティー的にいうとレベルが低くなるんですよ。あとはストーリーの面白さでなんとか合わせるということになって、クオリティの部分でいうと、やなものが出てきたんじゃないですか。(アニメ的という意味では)ウォルトディズニーにはやっぱり勝てないんですよ。ディズニーは50年前にあの分野の方向性で頂点を極めちゃったんですよ。あの延長線上はない。スピルバーグやなんかがやっても、全部延長線上なんですけど、ディズニーは越せないんです。多分、今回山賀君がやったやり方っていうのは、ディズニーとは違うんで、ひとつ可能性はあるんですよ。アニメーションのもうひとつ違った部分での、メジャーになるかどうかは別として、あれはひとつあると思いますよ。だから、ものすごいものを作ったとぼくは思いますね。
一つ勉強になったのは、あのレベルでできるというのが分ったんで、今度きちんと、スピルバーグ方式で作るっていうことは今度は難しくないんですね。
(参考:COMIC BOX No. 38 1987年5月号 p48-51)